バルカン総合スレ 2

1 世界@名無史さん 2329/04/02(火) 01:30:06 ID:
1

98 カラジチ ◆mWYugocC.c 2005/07/30(土) 10:19:12 ID:
もうちょっとまじめに検討するか……

モンテネグロは>>94氏の言うように、オスマン朝に征服されることなく第一次大戦を迎えた。
1918年にセルビア・クロアチア・スロヴェニア王国に統合。
モンテネグロ王は1922年まで名目的に王号を保持したけど、結局放棄したらしい。
たぶんこの時点で政治的統一体としてのモンテネグロは消滅。
(ひょっとすると1929年の改革の時かも。どちらにせよWWII前には「モンテネグロ」はなかった。)

だから、モンテネグロが連邦内の国として成立するのには、チトー政権にそういう意図があったんだと思われ。
というのも、ユーゴ王国ではセルビア人人口が他を圧倒していたというのが、政治的不能に陥った一番の原因だったので。
(くわえて、選挙制度が悪かったというのもある。まあ、セルビア人に有利な選挙制だった。)
チトー政権はセルビアの力を制限する方向に共和国編成を行ったふしがあって、
・マケドニア共和国を認める(VMROとユーゴ共産党の協力があったからでもある)、
・ボスニア・ヘルツェゴヴィナを独立した共和国と認める、
・セルビア国内にヴォィヴォディナ、コソヴォの2自治州を作る、
・その一方でクロアチア国内に自治州を作る案は却下
といった具合で、多分セルビアとそれ以外のバランスを取ろうとしたのだと思う。
その結果が、セルビア国外のセルビア人をどうするのかが問題になって紛争に突入するわけだけども。
独立国家がある、言語が違うなどの理由もさることながら、こういった政治的判断が大きかったんじゃないかと。

>>96-97
ユーゴの人口統計では「モンテネグロ人」という種別がなかった、はず。
いつからあるようになったのかはちょっと今調べつかなかったけど。

>>98
むしろ中世にセルビアが中心としていたのは、今のモンテネグロからコソヴォ、マケドニアにかけて。
アルバニア人の方が新参かと。

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