【男性】女性を平気で「下の名前」で呼べる人たち 駅名略す人や自ら常連と呼ぶ人と共通点が[12/07]

1 逢いみての… ★ 2020/12/07(月) 00:28:52 ID:
小学校の入学式の日から40年間、ずっと世の中との隔たりと向き合ってきた「隔たリスト・ふかわりょう」が、芸歴26年目にして初めてすべてをさらけ出したエッセイ集『世の中と足並みがそろわない』を出した。どこにもなじめない、何にも染まれないふかわ氏の不器用すぎるいびつな日常についてつづられている同書から今回は、三軒茶屋を「三茶」、二子玉川を「二子玉」などと略せないエピソードを紹介する。ふかわ氏によると、「略せない人」は、女性を下の名前で呼べなかったり、自らを「常連」と言えなかったりする人と共通点があるようだ。

私には、略す資格がない。

例えば三軒茶屋、二子玉川、略したことがありません。こうして表記することさえ抵抗があるのですが、「三茶」「二子玉」と呼ぶにふさわしい基準を私は満たしていないのではないか。そんな葛藤があり、スッと言えないのです。無理して言おうとすると、孫悟空の頭のように喉がキューッと締め付けられ、何かの拍子に略してしまったら、罪悪感に苛まれ、穢れた身体を洗うように、「三軒茶屋」を連呼するでしょう。

長年住んでいたり、普段から度々足を運んでいたりすれば堂々と略せるのですが、あまり接点のない分際で「三茶」と呼ぶ自分に嫌悪感を抱いてしまいます。

教官に付き添われて「三茶」と発する仮免期間を経てから、もしくは、「もう、三茶って呼んでいいのだよ」と、夢の中で略称の神様から許可が下りる。そんな第三者のゴーサインが必要で、できるなら自己判断は避けたいもの。

だから、大して関わりもないのに、自分の庭のように「三茶」と発している人を見ると、憧れを通り越し、なんてデリカシーのない奴だ、きっと人の家に上がって勝手に冷蔵庫を開けるタイプだろう、と秘かに軽蔑の眼差しを向けています。

私には、略す資格がない。

地名だけではありません。アスリートやバンド名も、「え??もう略してんの?!」と驚くことがあります。愛称としてマスコミが早々に略すのに乗っかって、まるで以前から知っていたかのように略す人に対しても、一定の距離を保ちたくなる。なぜ知ったばかりのものを略せるのか。ある程度フルネームで呼ぶ期間を経て、そろそろかなと徐々に略していくのが道理ってものじゃないのか。略すには、しかるべき時間と経験が必要なのです。

そんな私にも、基準を満たしているものはあります。地名で言えば「三宿」。毎月DJイベントを開催し、レコーディング・スタジオがあるのも、会食するのも三宿。かれこれ20年以上、高頻度で足を運んでいるので、厳しく審査されてもクリアしている自負があります。

しかし、1つ問題が生じました。「三宿」は略しようがないのです。「ミシュ」や「シュク」にしたところで誰に伝わるでしょう。せっかく神様から合格のお告げをいただいたのに、略せない。あぁ、なんという悲劇。長い間、生活拠点となっている「自由が丘」も、略したことがありません。略称とされる「がおか」に魅力を感じないからです。略し方にセンスや品を感じない。趣味の悪い車に乗りたくないのと同じで、「がおか」と口にしたくない。せっかく資格を持っているのに。

一方で、都内の環状線は、利用回数も相当なので、胸を張って「カンパチ」「カンナナ」と発し、おかげさまで「コンビニエンス・ストア」、「ファミリー・レストラン」とはもう呼んでいません。

続く

以下ソース
https://toyokeizai.net/articles/-/392794

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2 逢いみての… ★ 2020/12/07(月) 00:29:14 ID:
そんな私がずっと不思議に思っていたことがあります。それは、「祖師ヶ谷大蔵」。東京在住ならご存知の方も多い、小田急線の駅名。こんなに長いにもかかわらず、いままで略している人に遭遇したことがありません。「ソシクラ」「がやくら」「ソッシー」など、やろうと思えばいくらでもできるのに。なぜ誰も略さないのか、ずっと疑問だったのです。

しかし、答えが出ました。「祖師ヶ谷大蔵」には、略してはいけないと思わせる神聖な美しさがあるのです。見た目もさることながら、流れるようなフレーズは口にするだけで心が洗われる気分になります。だから皆、「祖師ヶ谷大蔵」と略さず呼んでいるのです。「清澄白河」「小竹向原」も、略してはいけない美しさが宿っているのでしょう。

もちろん「三軒茶屋」と「二子玉川」に美しさがないとは言いません。それよりも「三茶」「二子玉」には計り知れない語感の気持ちよさがあるのです。「んちゃ」には童心に返れる音、「ニコタマ」にはちょっと卑猥でキュートな響き。発したときの口も気持ちよく、クチスタシー指数(私の造語です)が非常に高い。接点のない人さえも口にしたくなるような快楽が伴い、略称が広く浸透する。結局、人は気持ちのいい表現を選ぶのでしょう。

「はい、ちょっと停まって!」

スクーターでT字路を曲がったときです。ちょうどそこで待ち構えていたのか、警官に呼び止められました。

「君、いま違反したのわかってる?」
「えっと、なんでしょうか?」
「あそこね、ウキンなんだよ?」

彼は道路標識を指さしています。

「ほら、ウキンの標識あるでしょ」
「ウキン?」

いったいなんのことなのかわかりません。

「気づかなかったかもしれないけど、違反だから切符切るね」

どうやら「右折禁止」を「ウキン」と略しているようでした。私は、切符を切られたことよりも、そちらにショックを受けます。

「右折禁止」に違反してしまったことはいけないのですが、取り締まる側が「ウキン」と略すなんて。何万回と発しているでしょうし、略したくなる気持ちもわかります。ただ、署内や同僚たちの間でいくら略そうが構いませんが、公の場で取り締まる際に「ウキン」と言うのは、いかがなものでしょうか。こちらのほうがむしろ、略称違反で切符を切りたくなったほどです。

業界用語にも抵抗があります。いわゆる、逆さに言う慣習。

ザギンにシースー、ギロッポン。ギャグで言うのは別として、自然に発するのは芸能界に26年在籍する私も抵抗があるのは、まだどこかで「芸能人」という自覚が足りないからでしょうか。『徹子の部屋』こそ呼んでいただきましたが、いわゆるザ・芸能人になれていない。逆に、駆け出しの若手が「フジテレビ」を「CX」と呼んだり、「ケツがあるので」などと発していると、そういう、形式に憧れている奴はきっと売れないだろう、と心の中で査定しています。

余談ですが、「バーター」という言葉。これも業界用語で、「抱き合わせ」を意味しますが、「束で」というキャスティング時の言葉を逆さに言っているそうです。それを知ったときには、これまで無意識・無自覚に業界の慣習に従ってきたことへの恥じらいと嫌悪感に襲われ、大切な何かを取り戻すように「束で」という言葉を何度も口にしました。

下の名前で呼ぶのも抵抗があります。同性はもちろん、異性に対してはなおさら時間がかかるタイプで、それこそ仮免期間が必要になります。

続く

3 逢いみての… ★ 2020/12/07(月) 00:29:25 ID:
「なんて呼んだらいい?」

若い頃は、互いの名前をどう呼び合うか話し合う、甘い時間がありました。呼び方は、2人の距離を象徴し、実感するものでもあるので、下の名前で呼ぶにはそれなりの関係性を構築する時間が必要です。しかし、これに関しても、大して関係性を築いていないのに、平気で下の名前で呼べてしまう人がいました。

学生時代。サークルの女子に対して「カオル、飯行く?」とか「ヒトミ、今日来てないの?」とか、付き合ってもないのに自然に下の名前で呼ぶ男。いったい、どういう家庭環境で育ったのか。どこかで特別な訓練を受けたのか。帰国子女ならまだしも、埼玉に住んでいる分際で、そんなに親しくない女子たちを下の名前で呼んでいる。いつ距離を詰めたのか。いや、そう呼ぶことで詰めているのか。

どこかでうらやましいという気持ちもあったかもしれません。しかし、私はそんな男にはなりたくない。そして、よほどのことがないと下の名前で呼べない自分を、嫌いにはなれない。

外資系では、社員同士、相手が上司だろうが敬語を使わず下の名前で呼び合う会社もあるようです。そんな環境に配属されたら、私の体はたちまち蕁麻疹(じんましん)のようなものが出て、「下の名前外来」に通院することでしょう。それに慣れてしまっても嫌なのです。

そもそも海外の略し方は理解に苦しむものが多いです。ロバートがボブになったり、リチャードがディックになったり。もはや、略すというより変換。ボサノバのアントニオ・カルロス・ジョビンは、トム・ジョビンになっていたり。どこから「トム」はやってきたのか。「鈴木みゆきなので、チコって呼んでください」みたいなことでしょうか。非常にアメージングな世界です。

「常連」と呼ぶことにも、私はシビアな基準を設けています。2、3回行ったくらいでは「常連」とは言えません。しかし、1度しか行っていないのにもかかわらず、常連面する奴もいます。自分が常連だと思っていても店側がそう思っていない場合がある一方で、芸能人などは、1度しか行っていなくても「よく来るよ!」と誇大広告を出されたりします。わんぱくでもいいが、大して行っていないのに「行きつけ」「常連」感を出すような男には絶対なるなと、息子がいたら言うでしょう。

そんな私に、先日、「常連」を決定づける出来事がありました。

「鼻うがいの洗浄液ありますか?」

ドラッグストアのレジ。いつもならレジを飛び出して探してくれるのですが、そのときスタッフは、その場で手を伸ばします。

「はい、こちらですね」

そう言って付箋を剥がし、バーコードを読みました。感動です。私の分をキープしておいてくれたのです。というのも、以前同じ商品を尋ねた際に品切れが続いていたことがあり、入荷の際に取っておいてくれたのです。お願いしたわけじゃないのに。鼻洗浄液のボトルキープ。私にはジャック・ダニエルに見えました。これこそ「常連」のなせる業。関係性の構築によって生まれたものでしょう。

「え??エベレストじゃないの?」

私は心の中で言いました。昨日までみんな「エベレスト」と言っていたのに、ある日突然、「チョモランマ」と言い出したのです。

「え、今までエベレストって言っていたのに……」

手のひら返し。裏切り行為に近い変わり身の速さに、幼心に衝撃を受けた、チョモランマ・ショック。

略すことも、下の名前で呼ぶことも、常連にしても、共通するのは、「親しみ」「親密さ」である一方で、「自分の支配下にある」ということの誇示にもつながる印象があるので、私は、そういう呼び方には慎重な姿勢を取っています。

簡単に略せてしまう人はデリカシーのない人間。きっとこういうタイプは、借りたシャーペンでも蓋の部分についている小さな消しゴムを使えてしまうのだろう。きっとTシャツの襟をぐいっと引っ張ってハンガーを出し入れできるのだろう。タオルも1回使っただけで洗濯機に放り込めるのだろう。昨日まで「ベスト」だったのに、今日から「ジレ」と言えちゃうのだろう。

もし私が「三茶」と呼んでいたら、そういう人間になってしまったと悲観しないでください。きっと、許可が下りたのです。

4 夜更かしなピンクさん 2020/12/07(月) 00:37:20 ID:
病んでそう

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